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COMPANY HISTORY モビーズの歴史

冒険旅行の隊員を求む。安い俸給、すさまじい寒気、何ヶ月も続く暗闇、危険たえまなく生還おぼつかなし。成功の暁には栄誉と報酬」これは英国の南極探検家、シャクルトンが隊員を求めた時のいわば求人広告だが、英国人というのはよくよく冒険心が強いようだ。しかも報酬なんぞは期待するな、そのかわり名誉があるぞ、とおだてあげるチャッカリさも、今昔を問わぬらしい。南極探険ではなかったけれど、鯨といっしょに泳いでほしい、といってきたゴードン・ウィリアムソンの場合も典型的なアングロ・サクソン気質丸出しだったといっていいだろう。鯨と泳ぐと一口にいうが、なにしろ相手は巨体の持主、へたに近づけば身の安全は保証の限りではない。しかもこんな危険な仕事を頼んでおいてNO PAYだというのである。

今から二年前の夏のある日、東海大学の海洋学部学生だった保田守君は、どこでどう調べてきたのか、一人の外人生物学者の訪問を受けた。生物学者はウィリアムソン、当時下関大学水産学部で教鞭をとっており、日本の捕鯨船に乗組んで、鯨を生きたまま撮影したい、しかも速度や大きさを知るために人間というモノサシをあてて、という願望をもち続けていたのである。生きたままの鯨がどの程度危険な動物かはまるでわかっていない。鯨の生態そのものが、およそ知られていないことだらけなのである。ウィリアムソンの熱心さばかりでもなかろうが、鯨と並んで泳ぐ計画は二十歳の若い心をも大いに動かした。

水中カメラがとらえたまっこう鯨やながす鯨は、船上に引き上げたのを見るよりははるかに引き締ったからだつきをしていた。首のあたりもブヨブヨと太くない。シャープなその姿は、鯨が水中で十六ノットものスピードで泳げることを裏づける貴重な資料となった。近海の鯨といっても十二~十五メートルはある。尾ヒレ部分にのっかった保田君は、ちょうどヒレと同じ位の大きさでしかなかった。冒険は終わり、ウィリアムソンは帰国した。しかし保田君の眼の奥には、青い海をゆうゆうと泳ぐ鯨の姿が焼きついて離れない。あの皮膚の手ざわりも。鯨の魅力は彼の心の奥底でときどき彼を駆り立てるようになった。

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『リクルートタイムズ』紙 昭和48年6月10日掲載記事より抜粋



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